直方市を散策する・中編(石炭記念館内見学) [地元・筑豊]
直方市散策 中編です。
石炭記念館内を見学します。
まずは別館から見学します。
重さ2トンの石炭石の塊。
模擬採炭切羽。
当時の炭鉱の様子。
石炭分析用機械。
採掘用ジブカッター
カッター部分。
まるで巨大なチェーンソーの様です。
採掘用?の機械
坑道を支える木枠の模型色々。
坑内で使われた斧や鋸、靴、ドリル等。
20馬力小型捲上機
ヘルメット、ヘッドライト等
三連式プランジャーポンプ
坑内の排水用に使われていた物です。
2階に上がります。
特別展示 世界遺産『明治日本の産業革命遺産』展が開催されていました。
初代直方駅。
9600形蒸気機関車ナンバープレート、サボ、記念切符等。
1950年(昭和25年)頃の筑豊地区の炭田図。
今ではこれらの炭田は全て閉山していますが、当時はかなりの数の炭田がありました。
鉄道網も今では考えられないくらいに広がっています。
九州で動いていた鉄道車両(模型)
Nゲージの鉄道模型が飾られていました。
鉄道模型をやっているので、つい見入ってしまいますが、なぜか九州では走っていないはずのED75や50系51形客車がありました。
(ED75は九州用の300番台がありましたが、50系51形客車は主に北海道で活躍。)
直方・門司機関区銘板、タブレット等。
山本作兵衛氏の絵画も10点展示されていますが、こちらは撮影禁止でした。
一通り見学した後、石炭科学館に移動します。
八幡化学(株)戸畑製造所模型
コールタール蒸留塔模型。
スチレンモノマー製造工場模型。
どれも立派な模型です。
世界の石炭サンプル。
日本をはじめ、インドネシア、イギリス、オーストラリア、南アフリカ等の石炭石が展示されています。
ウクライナの石炭石は特別扱いのようで、赤い布の上に置かれていました。
昨今の世界情勢を反映しているようです。
続いて本館を見学します。
まずは1階から。
1階展示室。
鉱石、ダイナマイト等が展示されています。
日本で最初に使われた救命器。
ガス警報器。
2階に上がります。
2階展示室。
救護隊員のマネキン。
モデルはイケメンの外国人のマネキンでした。
三菱端島炭鉱(軍艦島)
世界遺産の軍艦島の模型です。
貴重な展示品を見学していると、あっという間に時間が経ってしまいました。
1時間半ほど充実した時間を過ごした後、石炭記念館を後にし、直方の商店街へと向かいました。
後編に続きます。
石炭記念館内を見学します。
まずは別館から見学します。
重さ2トンの石炭石の塊。
模擬採炭切羽。
当時の炭鉱の様子。
石炭分析用機械。
採掘用ジブカッター
カッター部分。
まるで巨大なチェーンソーの様です。
採掘用?の機械
坑道を支える木枠の模型色々。
坑内で使われた斧や鋸、靴、ドリル等。
20馬力小型捲上機
ヘルメット、ヘッドライト等
三連式プランジャーポンプ
坑内の排水用に使われていた物です。
2階に上がります。
特別展示 世界遺産『明治日本の産業革命遺産』展が開催されていました。
初代直方駅。
9600形蒸気機関車ナンバープレート、サボ、記念切符等。
1950年(昭和25年)頃の筑豊地区の炭田図。
今ではこれらの炭田は全て閉山していますが、当時はかなりの数の炭田がありました。
鉄道網も今では考えられないくらいに広がっています。
九州で動いていた鉄道車両(模型)
Nゲージの鉄道模型が飾られていました。
鉄道模型をやっているので、つい見入ってしまいますが、なぜか九州では走っていないはずのED75や50系51形客車がありました。
(ED75は九州用の300番台がありましたが、50系51形客車は主に北海道で活躍。)
直方・門司機関区銘板、タブレット等。
山本作兵衛氏の絵画も10点展示されていますが、こちらは撮影禁止でした。
一通り見学した後、石炭科学館に移動します。
八幡化学(株)戸畑製造所模型
コールタール蒸留塔模型。
スチレンモノマー製造工場模型。
どれも立派な模型です。
世界の石炭サンプル。
日本をはじめ、インドネシア、イギリス、オーストラリア、南アフリカ等の石炭石が展示されています。
ウクライナの石炭石は特別扱いのようで、赤い布の上に置かれていました。
昨今の世界情勢を反映しているようです。
続いて本館を見学します。
まずは1階から。
1階展示室。
鉱石、ダイナマイト等が展示されています。
日本で最初に使われた救命器。
ガス警報器。
2階に上がります。
2階展示室。
救護隊員のマネキン。
モデルはイケメンの外国人のマネキンでした。
三菱端島炭鉱(軍艦島)
世界遺産の軍艦島の模型です。
貴重な展示品を見学していると、あっという間に時間が経ってしまいました。
1時間半ほど充実した時間を過ごした後、石炭記念館を後にし、直方の商店街へと向かいました。
後編に続きます。
セブンになる前のモロボシ青年が炭鉱で使っていた採掘機とはちがってチェーンソー型もあったのですね~
炭鉱、林業によって当時は当時の線路網は膨大な路線距離になっていたようですが炭鉱路線は脆弱な林業用路線よりも重い貨車を運ぶため路盤がしっかりしていたから人員輸送に転換しやすかったのだと思います。
by 青い森のヨッチン (2022-11-22 10:35)
青い森のヨッチン様
直方市石炭記念館には地元に居ながら今まで一度も訪れたことが無かったので、貴重な資料や機関車が見られて良かったです。
私の住んでいる町にも炭鉱があったのですが、私が生まれる前には既に閉山していました。
もう15年くらい前に生まれていれば、炭鉱で働く機関車や貨車の雄姿を見られたでしょうね。
by TYPES (2022-11-22 16:33)