レイアウト改修工事13(春セクションレール敷設) [レイアウト制作]
体調の方がぼちぼち良くなってきたので、レイアウト工事を再開します。
レイアウト改修工事 その13です。
長々と続けている改修工事。
いよいよ残すは春セクション部分のみとなりました。
まずはレールを撤去します。
今回は本線と外線引き込み線部分のみ撤去します。
撤去しました。
内線-ヤード間のポイントレールを敷設します。
地面にポイントマシンが収まる穴を開け、ポイントレールを仮設置しました。
ポイントレール周辺の道床を作成します。
レッドブラウンに塗装した2㎜厚スチレンボードを貼り付け、夏セクションとの境目のレールを敷設しました。
境目のレール先端のジョイントにはフィーダー線を半田付けし、フィーダー線の穴をモデリングペーストで塞いでいます。
続いて片渡り線及び延長モジュール部分のポイントレールを敷設します。
ポイントとフレキシブルレールを仮置きして検討中です。
片渡り線ポイントレールはトミックスのポイントよりサイズが小さいので、ポイント同士の間に短いレールを仕込みます。
レールを仮接続しました。
レールの長さはOKだったので、一旦レールを外して残りの道床を貼り付けます。
道床の貼り付けが終わりました。
レールを敷設します。
片渡り線ポイントレールの敷設が完了しました。
今回はここまでです。
内線、外線開通まであと一息となりました。
お付き合い、ありがとうございました。
レイアウト改修工事 その13です。
長々と続けている改修工事。
いよいよ残すは春セクション部分のみとなりました。
まずはレールを撤去します。
今回は本線と外線引き込み線部分のみ撤去します。
撤去しました。
内線-ヤード間のポイントレールを敷設します。
地面にポイントマシンが収まる穴を開け、ポイントレールを仮設置しました。
ポイントレール周辺の道床を作成します。
レッドブラウンに塗装した2㎜厚スチレンボードを貼り付け、夏セクションとの境目のレールを敷設しました。
境目のレール先端のジョイントにはフィーダー線を半田付けし、フィーダー線の穴をモデリングペーストで塞いでいます。
続いて片渡り線及び延長モジュール部分のポイントレールを敷設します。
ポイントとフレキシブルレールを仮置きして検討中です。
片渡り線ポイントレールはトミックスのポイントよりサイズが小さいので、ポイント同士の間に短いレールを仕込みます。
レールを仮接続しました。
レールの長さはOKだったので、一旦レールを外して残りの道床を貼り付けます。
道床の貼り付けが終わりました。
レールを敷設します。
片渡り線ポイントレールの敷設が完了しました。
今回はここまでです。
内線、外線開通まであと一息となりました。
お付き合い、ありがとうございました。
リハビリ中 [その他雑談]
退院から約2週間経ちましたが、未だに傷口が痛む管理人です。
先日の外来診察で傷について聞いたところ、痛みが治まるまで1~2か月は掛かるとのこと。
しばらくこの痛みとお付き合いしないといけないようです。
レイアウトの方はぼちぼち再開していますが、今回は近況報告です。
退院後はリハビリと体力回復を兼ねて、毎日欠かさず3キロほど近所を散歩しています。
入院中も調子のいい時は散歩をしていましたが、病棟内をぐるぐる回るだけだったのであまり面白くはありませんでした。
散歩中に撮った写真です。
色とりどりのコスモス
稲の収穫
このころは丁度稲刈りの最中でした。
平成筑豊鉄道沿線
築堤と橋
勾配標
継電箱
桁の低い橋
気になったので中に入ってみました。
高さは140㎝程でしょうか。
途中から少し高くなっていました。
反対側より
高さは160㎝位でした。
列車が来ました。
400系407号『マクセル号』
400系404号『なのはな号』
500系501号『へいちく浪漫号』
400系412号『オリジナル塗装』
400系411号『ちくまるLINEスタンプ号』
400系401・402号『ことこと列車』
平成筑豊鉄道初の観光列車で、水戸岡鋭治氏がデザインした列車です。
いつか乗ってみたいですね。
見慣れたはずの光景でも、散歩中に見る光景はとても新鮮に映りました。
話は変わって、長期の入院生活の反動からかこのところ外食が多くなっています。
10/14(水)の夕食はR22田川直方バイパス沿いにある中華料理店『桂花』
春巻、海老天婦羅、炒飯、コーヒーを頂きました。
続いて10/20(火)の昼食。
こちらもR22田川直方バイパス沿いにある喫茶店『たぬきの里』
ハンバーグが乗ったドライカレーセットを頂きました。
最後は10/25(日)の昼食。
福智町ほうじょう温泉内にある『筑豊ラーメン山小屋』
福岡県では有名なチェーン店です。
期間限定メニューの汁なし担々麺を頂きました。
地元タレントの中島浩二氏が監修したメニューです。
どれも美味しく頂きました。
お付き合い、ありがとうございました。
先日の外来診察で傷について聞いたところ、痛みが治まるまで1~2か月は掛かるとのこと。
しばらくこの痛みとお付き合いしないといけないようです。
レイアウトの方はぼちぼち再開していますが、今回は近況報告です。
退院後はリハビリと体力回復を兼ねて、毎日欠かさず3キロほど近所を散歩しています。
入院中も調子のいい時は散歩をしていましたが、病棟内をぐるぐる回るだけだったのであまり面白くはありませんでした。
散歩中に撮った写真です。
色とりどりのコスモス
稲の収穫
このころは丁度稲刈りの最中でした。
平成筑豊鉄道沿線
築堤と橋
勾配標
継電箱
桁の低い橋
気になったので中に入ってみました。
高さは140㎝程でしょうか。
途中から少し高くなっていました。
反対側より
高さは160㎝位でした。
列車が来ました。
400系407号『マクセル号』
400系404号『なのはな号』
500系501号『へいちく浪漫号』
400系412号『オリジナル塗装』
400系411号『ちくまるLINEスタンプ号』
400系401・402号『ことこと列車』
平成筑豊鉄道初の観光列車で、水戸岡鋭治氏がデザインした列車です。
いつか乗ってみたいですね。
見慣れたはずの光景でも、散歩中に見る光景はとても新鮮に映りました。
話は変わって、長期の入院生活の反動からかこのところ外食が多くなっています。
10/14(水)の夕食はR22田川直方バイパス沿いにある中華料理店『桂花』
春巻、海老天婦羅、炒飯、コーヒーを頂きました。
続いて10/20(火)の昼食。
こちらもR22田川直方バイパス沿いにある喫茶店『たぬきの里』
ハンバーグが乗ったドライカレーセットを頂きました。
最後は10/25(日)の昼食。
福智町ほうじょう温泉内にある『筑豊ラーメン山小屋』
福岡県では有名なチェーン店です。
期間限定メニューの汁なし担々麺を頂きました。
地元タレントの中島浩二氏が監修したメニューです。
どれも美味しく頂きました。
お付き合い、ありがとうございました。
腸閉塞入院顛末記(番外編~病室からの光景) [鉄道全般]
腸閉塞入院顛末記 番外編です。
入院中は基本的に寝ていることが多かったのですが、体調が良い時はクロスワードを解いたり、病院内にあるローソンでWi-Fiを使ってインターネットを楽しんだりしていました。
このローソンは病院1階にあり、入院していた7階から1階まで下りるのがしんどい時もあったのですが、リハビリついでと思いイルリガートル台を引きずりながら頑張って下りていました。
本題です。
管理人が入院していたI病院は丁度筑豊本線と後藤寺線の沿線にあり、病棟から列車が往来する光景を望むことができました。
手前の線路が筑豊本線、奥の線路が後藤寺線です。
筑豊本線813系電車
筑豊本線817系電車
筑豊本線BEC819系蓄電池電車+817系電車
筑豊本線787系特急かいおう(特急有明仕様)
筑豊本線783系特急かいおう(特急みどり仕様)
後藤寺線キハ47系ディーゼルカー
20年ほど前までは50系客車が最後まで活躍していた筑豊本線も、電化以降すっかり様変わりしてしまいました。
後藤寺線はまだキハ40系が頑張っていますが、古い車両なのでそう遠くないうちに引退しそうな気がします。
長く辛い入院生活ではありましたが、列車が走る光景を眺めているときは気分が晴れました。
筑豊本線と後藤寺線の動画です。
お付き合い、ありがとうございました。
入院中は基本的に寝ていることが多かったのですが、体調が良い時はクロスワードを解いたり、病院内にあるローソンでWi-Fiを使ってインターネットを楽しんだりしていました。
このローソンは病院1階にあり、入院していた7階から1階まで下りるのがしんどい時もあったのですが、リハビリついでと思いイルリガートル台を引きずりながら頑張って下りていました。
本題です。
管理人が入院していたI病院は丁度筑豊本線と後藤寺線の沿線にあり、病棟から列車が往来する光景を望むことができました。
手前の線路が筑豊本線、奥の線路が後藤寺線です。
筑豊本線813系電車
筑豊本線817系電車
筑豊本線BEC819系蓄電池電車+817系電車
筑豊本線787系特急かいおう(特急有明仕様)
筑豊本線783系特急かいおう(特急みどり仕様)
後藤寺線キハ47系ディーゼルカー
20年ほど前までは50系客車が最後まで活躍していた筑豊本線も、電化以降すっかり様変わりしてしまいました。
後藤寺線はまだキハ40系が頑張っていますが、古い車両なのでそう遠くないうちに引退しそうな気がします。
長く辛い入院生活ではありましたが、列車が走る光景を眺めているときは気分が晴れました。
筑豊本線と後藤寺線の動画です。
お付き合い、ありがとうございました。
腸閉塞入院顛末記(後編) [病気]
腸閉塞入院顛末記 後編です。
再手術が決まり、いよいよ第3の苦難が始まります。
2020/9/29(火)体重50.8㎏
再手術前日です。
前段階として、手術及び輸血、麻酔、PCR検査の同意書を記入しました。
手術を行っても腸の癒着が見つからない場合があり、その時は完全には直らない可能性があると伝えられましたが治ると信じ、この時点で腹を括りました。
PCR検査は細い綿棒を鼻の穴に突っ込んで検査するので、気持ち悪かったです。
この日は入浴をしました。
シャワーのみですが、約1か月ぶりの入浴は気持ち良かったです。
2020/9/30(水)
いよいよ手術の日が来ました。
当初は16:00からの予定だったのですが、時間が13:30に早まりました。
手術は3時間ほどで無事に成功しました。
担当医によるとCTやレントゲンでも見つけきれなかった腸の癒着が判明し、癒着を治したとのことでした。
術後3日後の腹部画像です。
へそから上を約10㎝ほど切っています。
手術直後は腹部の痛みと寒気が激しく痛み止めをしてもあまり治まらずに苦しかったです。
第3の苦難でした。
2020/10/1(木)体重?㎏
この日は腹痛と疲れで動くこともままならず、ほぼ1日中寝たきりでした。
痛み止めは有るのですが、1日3回までと限定されていて、しかも効く時間が6時間と連続して連続して処方すると6時間痛み止めの無い時間が続いてしまいます。
なのでなるべく起きている時間に処方してもらいますが、私の場合は約4時間で痛み止めの効果が切れてしまい、残りの2時間が非常に苦しかったです。
2020/10/2(金)体重54.8㎏
先日ほぼ1日中寝ていたせいか、この日はブログの返信ができる程度には体調が回復していました。
2020/10/3(土)体重54.0㎏
調子が良かった前日とは打って変わってこの日はやや不調気味でした。
この日の昼から食事(スープ食・重湯、具無し吸い物)が始まりました。
2020/10/4(日)体重53.1㎏
この日から便が出始めました。
調子はまずます良くなりましたが食事は依然として3食スープ食のままでした。
2020/10/5(月)体重53.0㎏
この日から入浴(シャワー)がOKになりました。
傷口の痛みも随分引いてきました。
食事はこの日の夕食までスープ食でした。
2020/10/6(火)体重53.0㎏
体調が良くなってきています。
傷口の痛みも少なくなってきたので、この日から痛み止めを止めてもらいました。
この日の朝より食事が三分粥に変わりました。
朝食(三分粥、味噌汁、ぶどう味ゼリー、ブルーベリー味ジュース)
昼食(三分粥、じゃがいも煮物、ポタージュスープ、果物ゼリー、ジュース)
夕食は撮り忘れました。
2020/10/7(水)体重53.0㎏
この日の朝からついに食事が一般食に変わりました。
そしてようやく点滴も外れました。
約1か月もの間連れ添ってきた点滴ともついにお別れです。
この日が来るのをどんなに待ち望んでいたことか。
退院を予感させる出来事でした。
余談ですがこの点滴台、イルリガートル台という名前だそうです。
朝食(ご飯、具入り味噌汁、スクランブルエッグ、かぼちゃ煮、ほうれん草白和え、牛乳、ふりかけ)
昼食(ホテルブレッド、ジャム、タルタルソース付きチキンカツ、大根サラダ、飲むヨーグルト)
夕食(ご飯、赤魚照り焼き、じゃが芋トマト煮、キャベツ土佐和え、漬物)
食事は基本的にご飯ですが、昼食をパンに変えてもらいました。
そしてついに、担当医より退院の話が出ました。
翌日の血液検査、レントゲンで異常が無ければ週末に退院が可能と伝えられました。
ようやく長い入院生活が終わると確信しました。
2020/10/8(木)体重52.3㎏
午前中は血液検査、レントゲンを行いました。
その後担当医に会い、明日退院できますと告げられました。
予定より早かったので最初は驚きましたが、すぐに喜びに変わりました。
本日の食事です。
朝食(ロールパン、野菜炒め、切干大根、茄子トマト煮、鶏肉と椎茸のスープ、牛乳、ゼリー)
昼食(ロールパン、鯵南蛮漬け、ほうれん草磯辺和え、キウイフルーツ、エクレア)
夕食(ご飯、焼き肉風、キュウリと枝豆和え物、なめこしぐれ煮、漬物)
何だか飯テロのような感じになってしまいましたが、病院食なので味はお察しの通りです。
2020/10/9(金)
ついに退院の日が来ました。
朝食(ホテルブレッド、じゃがいも煮物、青梗菜ととひき肉の炒め物、煮奴、オニオンスープ、牛乳)
病院での最後の食事です。
朝食を軽めに済ませ、10:30に会計で支払いを済ませて無事に退院しました。
8/30日から10/9まで、41日間の入院生活を終え最初にやりたかった事は『美味しいものを食べる』事でした。
早速病院内にあるレストランでハンバーグ定食を頂きました。
さらに翌日の夕食は偶然行きつけのスーパーで開催されていた駅弁フェアで購入した駅弁『松茸三昧』を頂きました。
約1か月ぶりの病院食以外の食事、味をしっかりと楽しみながら美味しく頂きました。
改めて美味しい食事が食べられる喜びを感じました。
お付き合い、ありがとうございました。
再手術が決まり、いよいよ第3の苦難が始まります。
2020/9/29(火)体重50.8㎏
再手術前日です。
前段階として、手術及び輸血、麻酔、PCR検査の同意書を記入しました。
手術を行っても腸の癒着が見つからない場合があり、その時は完全には直らない可能性があると伝えられましたが治ると信じ、この時点で腹を括りました。
PCR検査は細い綿棒を鼻の穴に突っ込んで検査するので、気持ち悪かったです。
この日は入浴をしました。
シャワーのみですが、約1か月ぶりの入浴は気持ち良かったです。
2020/9/30(水)
いよいよ手術の日が来ました。
当初は16:00からの予定だったのですが、時間が13:30に早まりました。
手術は3時間ほどで無事に成功しました。
担当医によるとCTやレントゲンでも見つけきれなかった腸の癒着が判明し、癒着を治したとのことでした。
術後3日後の腹部画像です。
へそから上を約10㎝ほど切っています。
手術直後は腹部の痛みと寒気が激しく痛み止めをしてもあまり治まらずに苦しかったです。
第3の苦難でした。
2020/10/1(木)体重?㎏
この日は腹痛と疲れで動くこともままならず、ほぼ1日中寝たきりでした。
痛み止めは有るのですが、1日3回までと限定されていて、しかも効く時間が6時間と連続して連続して処方すると6時間痛み止めの無い時間が続いてしまいます。
なのでなるべく起きている時間に処方してもらいますが、私の場合は約4時間で痛み止めの効果が切れてしまい、残りの2時間が非常に苦しかったです。
2020/10/2(金)体重54.8㎏
先日ほぼ1日中寝ていたせいか、この日はブログの返信ができる程度には体調が回復していました。
2020/10/3(土)体重54.0㎏
調子が良かった前日とは打って変わってこの日はやや不調気味でした。
この日の昼から食事(スープ食・重湯、具無し吸い物)が始まりました。
2020/10/4(日)体重53.1㎏
この日から便が出始めました。
調子はまずます良くなりましたが食事は依然として3食スープ食のままでした。
2020/10/5(月)体重53.0㎏
この日から入浴(シャワー)がOKになりました。
傷口の痛みも随分引いてきました。
食事はこの日の夕食までスープ食でした。
2020/10/6(火)体重53.0㎏
体調が良くなってきています。
傷口の痛みも少なくなってきたので、この日から痛み止めを止めてもらいました。
この日の朝より食事が三分粥に変わりました。
朝食(三分粥、味噌汁、ぶどう味ゼリー、ブルーベリー味ジュース)
昼食(三分粥、じゃがいも煮物、ポタージュスープ、果物ゼリー、ジュース)
夕食は撮り忘れました。
2020/10/7(水)体重53.0㎏
この日の朝からついに食事が一般食に変わりました。
そしてようやく点滴も外れました。
約1か月もの間連れ添ってきた点滴ともついにお別れです。
この日が来るのをどんなに待ち望んでいたことか。
退院を予感させる出来事でした。
余談ですがこの点滴台、イルリガートル台という名前だそうです。
朝食(ご飯、具入り味噌汁、スクランブルエッグ、かぼちゃ煮、ほうれん草白和え、牛乳、ふりかけ)
昼食(ホテルブレッド、ジャム、タルタルソース付きチキンカツ、大根サラダ、飲むヨーグルト)
夕食(ご飯、赤魚照り焼き、じゃが芋トマト煮、キャベツ土佐和え、漬物)
食事は基本的にご飯ですが、昼食をパンに変えてもらいました。
そしてついに、担当医より退院の話が出ました。
翌日の血液検査、レントゲンで異常が無ければ週末に退院が可能と伝えられました。
ようやく長い入院生活が終わると確信しました。
2020/10/8(木)体重52.3㎏
午前中は血液検査、レントゲンを行いました。
その後担当医に会い、明日退院できますと告げられました。
予定より早かったので最初は驚きましたが、すぐに喜びに変わりました。
本日の食事です。
朝食(ロールパン、野菜炒め、切干大根、茄子トマト煮、鶏肉と椎茸のスープ、牛乳、ゼリー)
昼食(ロールパン、鯵南蛮漬け、ほうれん草磯辺和え、キウイフルーツ、エクレア)
夕食(ご飯、焼き肉風、キュウリと枝豆和え物、なめこしぐれ煮、漬物)
何だか飯テロのような感じになってしまいましたが、病院食なので味はお察しの通りです。
2020/10/9(金)
ついに退院の日が来ました。
朝食(ホテルブレッド、じゃがいも煮物、青梗菜ととひき肉の炒め物、煮奴、オニオンスープ、牛乳)
病院での最後の食事です。
朝食を軽めに済ませ、10:30に会計で支払いを済ませて無事に退院しました。
8/30日から10/9まで、41日間の入院生活を終え最初にやりたかった事は『美味しいものを食べる』事でした。
早速病院内にあるレストランでハンバーグ定食を頂きました。
さらに翌日の夕食は偶然行きつけのスーパーで開催されていた駅弁フェアで購入した駅弁『松茸三昧』を頂きました。
約1か月ぶりの病院食以外の食事、味をしっかりと楽しみながら美味しく頂きました。
改めて美味しい食事が食べられる喜びを感じました。
お付き合い、ありがとうございました。
腸閉塞入院顛末記(中編) [病気]
腸閉塞入院顛末記 中編です。
2020/9/14(月)体重53.5㎏(入院前の体重61㎏)
この日、腸閉塞の治療に新たな秘密兵器が導入されました。
イレウスチューブです。
※画像はクリエートメディック株式会社HP(https://www.createmedic.co.jp/products_detail/id=250)より転載。
このイレウスチューブを内視鏡を使って鼻の穴から小腸まで通します。
※画像はいまさら聞けない看護技術byナースハッピーライフ(https://www.nurse-happylife.com/13027/)より転載。
チューブの先端にはバルーンと呼ばれる風船状のものが付いていて、自然にバルーンが膨らんで癒着している腸を押し広げて癒着を改善する仕組みになっています。
内視鏡検査同意書。
麻酔を使っておおむね2時間程度で終了しました。
イレウスチューブ装着の様子。
チューブの外径は約10㎜程あり、以前装着していたチューブよりも太くかなり違和感がありました。
おまけに鼻水がガンガン出て、しばらくはティッシュが手放せない状態でした。
胆汁は鼻から伸びた先の袋に入っていきます。
1位日1回程度看護師さんが注射器で胆汁を吸い取ってくれます。
2020/9/15(火)~2020/9/20(日)
9/20日までの約1週間イレウスチューブを付けたままでした。
※この間の体重推移
2020/9/15 53.3㎏
2020/9/16 52.7㎏
2020/9/17 52.9㎏
2020/9/18 52.8㎏
2020/9/19 52.2㎏
2020/9/20 52.2㎏
体重は順調に減り続け、ついに52㎏台に突入しました。
入院前から約9㎏体重が減っています。
点滴も2つになりました。
2020/9/21(月)体重52.5㎏
この日の午前中にイレウスチューブが外れました。
担当医によるとまだ完全に治っていないものの、翌日から食事を再開しますとの事でこの時は順調に回復していると信じていました。
結果は再手術という最悪の結果でしたが…
2020/9/22(火)体重52.5㎏
この日の夕方から食事(スープ食)が再開しました。
夕食(重湯、具無し味噌汁)
9/10以来の食事です。
2020/9/23(水)体重53.0㎏
この日の昼食より三分粥になりました。
昼食(三分粥、親子煮、パンプキンスープ、豆乳プリン、ゆず味ジュース)
ゆっくり食べてくださいと言われたので、普段の倍近く(20分程度)かけて食べました。
食後は腹痛もなく順調に回復しているものと思っていました。
2020/9/24(木)体重53.1㎏
この日の食事も三分粥でした。
前日同様腹痛もなく便も順調に出ていました。
ところが…
2020/9/25(金)
異変は19:00頃突然襲い掛かりました。
この日は昼から軟食(三分粥→通常の白ご飯、おかずは柔らかい物)に変更になり、このまま回復まで一直線と思っていましたが、19:00頃から再び吐き気が襲い掛かり、処置室へと送られてしまいました。
第2の苦難の始まりでした。
その日は1晩処置室で過ごしましたが、吐き気が収まらずほとんど眠れませんでした。
2020/9/26(土)
苦しい1夜を過ごした後、ようやく救いの手が現れました。
再び鼻の穴から胆汁抜きチューブを通してもらい、しばらくすると吐き気が収まりました。
しかし、胆汁抜きチューブは回復の後退を意味するもので、この時点で再手術を覚悟しました。
実は2日ほど前に担当医よりイレウスチューブで治らなければ再手術が必要と告げられていて、胆汁抜きチューブを通してもらった後に来週月曜の透視検査後水曜に再手術と告げられました。
この日は肉体的にも精神的も堪えて、結局寝たきりでした。
9/27(日)体重50.9㎏
体調は幾分持ち直しましたが、ついに体重が50㎏台に突入してしまいました。
9/28(月)体重50.8㎏(最低値)
この日は9:00レントゲン、11:00にCT&透視検査と検査だらけの1日でした。
いよいよ次回、2度目の手術に入ります。
第3の苦難の始まりでした。
後編に続きます。
2020/9/14(月)体重53.5㎏(入院前の体重61㎏)
この日、腸閉塞の治療に新たな秘密兵器が導入されました。
イレウスチューブです。
※画像はクリエートメディック株式会社HP(https://www.createmedic.co.jp/products_detail/id=250)より転載。
このイレウスチューブを内視鏡を使って鼻の穴から小腸まで通します。
※画像はいまさら聞けない看護技術byナースハッピーライフ(https://www.nurse-happylife.com/13027/)より転載。
チューブの先端にはバルーンと呼ばれる風船状のものが付いていて、自然にバルーンが膨らんで癒着している腸を押し広げて癒着を改善する仕組みになっています。
内視鏡検査同意書。
麻酔を使っておおむね2時間程度で終了しました。
イレウスチューブ装着の様子。
チューブの外径は約10㎜程あり、以前装着していたチューブよりも太くかなり違和感がありました。
おまけに鼻水がガンガン出て、しばらくはティッシュが手放せない状態でした。
胆汁は鼻から伸びた先の袋に入っていきます。
1位日1回程度看護師さんが注射器で胆汁を吸い取ってくれます。
2020/9/15(火)~2020/9/20(日)
9/20日までの約1週間イレウスチューブを付けたままでした。
※この間の体重推移
2020/9/15 53.3㎏
2020/9/16 52.7㎏
2020/9/17 52.9㎏
2020/9/18 52.8㎏
2020/9/19 52.2㎏
2020/9/20 52.2㎏
体重は順調に減り続け、ついに52㎏台に突入しました。
入院前から約9㎏体重が減っています。
点滴も2つになりました。
2020/9/21(月)体重52.5㎏
この日の午前中にイレウスチューブが外れました。
担当医によるとまだ完全に治っていないものの、翌日から食事を再開しますとの事でこの時は順調に回復していると信じていました。
結果は再手術という最悪の結果でしたが…
2020/9/22(火)体重52.5㎏
この日の夕方から食事(スープ食)が再開しました。
夕食(重湯、具無し味噌汁)
9/10以来の食事です。
2020/9/23(水)体重53.0㎏
この日の昼食より三分粥になりました。
昼食(三分粥、親子煮、パンプキンスープ、豆乳プリン、ゆず味ジュース)
ゆっくり食べてくださいと言われたので、普段の倍近く(20分程度)かけて食べました。
食後は腹痛もなく順調に回復しているものと思っていました。
2020/9/24(木)体重53.1㎏
この日の食事も三分粥でした。
前日同様腹痛もなく便も順調に出ていました。
ところが…
2020/9/25(金)
異変は19:00頃突然襲い掛かりました。
この日は昼から軟食(三分粥→通常の白ご飯、おかずは柔らかい物)に変更になり、このまま回復まで一直線と思っていましたが、19:00頃から再び吐き気が襲い掛かり、処置室へと送られてしまいました。
第2の苦難の始まりでした。
その日は1晩処置室で過ごしましたが、吐き気が収まらずほとんど眠れませんでした。
2020/9/26(土)
苦しい1夜を過ごした後、ようやく救いの手が現れました。
再び鼻の穴から胆汁抜きチューブを通してもらい、しばらくすると吐き気が収まりました。
しかし、胆汁抜きチューブは回復の後退を意味するもので、この時点で再手術を覚悟しました。
実は2日ほど前に担当医よりイレウスチューブで治らなければ再手術が必要と告げられていて、胆汁抜きチューブを通してもらった後に来週月曜の透視検査後水曜に再手術と告げられました。
この日は肉体的にも精神的も堪えて、結局寝たきりでした。
9/27(日)体重50.9㎏
体調は幾分持ち直しましたが、ついに体重が50㎏台に突入してしまいました。
9/28(月)体重50.8㎏(最低値)
この日は9:00レントゲン、11:00にCT&透視検査と検査だらけの1日でした。
いよいよ次回、2度目の手術に入ります。
第3の苦難の始まりでした。
後編に続きます。
腸閉塞入院顛末記(前編) [病気]
先日、無事に退院した管理人です。
まだ手術跡の傷口の痛みが若干あり、鉄道模型も中断状態です。
しばらくはリハビリに専念したいと思っています。
今回は腸閉塞で入院から退院までの生活を振り返ってみたいと思います。
以前の記事で腸閉塞で入院とお伝えしていましたが、正式な病名は絞扼性(こうやくせい)イレウスという病気です。
絞扼性イレウスとはどんな病気かと言いますと、異物や炎症、腫瘍などにより腸管が塞がれた状態(機械的イレウス)、あるいは開腹手術などで腸管が麻痺(まひ)(拡張)して腸の蠕動運動が障害された状態(麻痺性イレウス)を指します。
イレウスになると、消化物が腸内をスムーズに移動できなくなり、閉塞部位より上部(口側)に多量の消化物がたまります。そのため便やガスが腸内に充満して、腹痛や嘔吐などさまざまな症状が起こります。
主な症状は、腹部全体の痛み、便秘、嘔吐、腹部膨満、発熱、頻脈などがあります。腹痛は軽いものから激痛を伴うものまでさまざまです。
絞扼性イレウスはお腹の一部が持続的に痛むのが特徴で、腹膜に炎症が起きたときにみられる腹膜刺激症状などが現れることがあります。
絞扼性イレウスの参考画像。
※説明及び画像ははおなかの健康ドットコム(https://www.onaka-kenko.com/various-illnesses/digestive-organs/digestive-organs_03.html)より引用。
管理人の症状は腸が捻じれて癒着し、消化が上手くいかなくなり腹痛と嘔吐が続くものでした。
入院までの経過です。
2020/8/29(土)
夕食後(19:00頃)から腹痛を感じるようになる。
この時はまだ普通の腹痛と思っていました。
21:30頃眠りに付こうとするものの一向に腹痛が治まらず吐き気を催すようになる。
2020/8/30(日)
6:00頃腹痛と吐き気が頂点に達し、たまらず親に救急外来(TS病院)に連れて行ってもらう。
10:00?頃 TS病院で腸閉塞の説明を受ける。
12:00?頃 TS病院では手術不可の為I病院に転送。
13:00?頃 I病院到着・検査後即手術(3時間程度)
2020/8/31(月)~9/8(火)
この間絶食。(一度だけ夕食の重湯が出たが手を付けられず)。
2020/9/9(水)
強烈な吐き気を催したため鼻の穴からチューブを通し、胆汁・空気を抜いてもらいました。
入院中の様子。
胆汁を抜いている様子。
この間は慣れない鼻チューブに加え38℃位の熱も出ていたのでかなり苦しかったです。
それでも調子のよい時はスマホからブログを更新したり、インターネットを閲覧したりしていました。
2020/9/9(水)体重57.0㎏
胆汁抜きチューブが外れ、この日の昼から食事がスタートしました。
昼食(重湯、具無し味噌汁)
この日から体調、体重、食事内容をノートに付けるようになりました。
入院前の体重は61㎏だったので、入院10日余りで4㎏も痩せてしまいました。
※この後順調?に体重が減り続けます。
2020/9/10(木)体重55.8㎏
この日は朝食までスープ食で、昼から三分粥になりました。
昼食(三分粥、ふわふわスクランブルエッグ、具無し吸い物、ゼリー、ジュース)
昼食までは体調も良かったのですが、夕食を食べた後またもや強烈な吐き気を催し、再び胆汁抜きチューブを入れる羽目になりました。
当然翌日より絶飲食です。
2020/9/11(金)体重53.5㎏
この日より再び絶飲食。
原因を探るため、造影剤を入れての透視造影検査を行いました。
2020/9/12(土)~9/13(日)体重53.7㎏・53.4㎏
造影剤の影響で水っぽい便が続きました。
ここまでが第1の苦難といったところでしょうか。
しかし約40日間の闘病生活、勿論このままでは終わりません。
翌日より第2の苦難が始まります。
中編に続きます。
まだ手術跡の傷口の痛みが若干あり、鉄道模型も中断状態です。
しばらくはリハビリに専念したいと思っています。
今回は腸閉塞で入院から退院までの生活を振り返ってみたいと思います。
以前の記事で腸閉塞で入院とお伝えしていましたが、正式な病名は絞扼性(こうやくせい)イレウスという病気です。
絞扼性イレウスとはどんな病気かと言いますと、異物や炎症、腫瘍などにより腸管が塞がれた状態(機械的イレウス)、あるいは開腹手術などで腸管が麻痺(まひ)(拡張)して腸の蠕動運動が障害された状態(麻痺性イレウス)を指します。
イレウスになると、消化物が腸内をスムーズに移動できなくなり、閉塞部位より上部(口側)に多量の消化物がたまります。そのため便やガスが腸内に充満して、腹痛や嘔吐などさまざまな症状が起こります。
主な症状は、腹部全体の痛み、便秘、嘔吐、腹部膨満、発熱、頻脈などがあります。腹痛は軽いものから激痛を伴うものまでさまざまです。
絞扼性イレウスはお腹の一部が持続的に痛むのが特徴で、腹膜に炎症が起きたときにみられる腹膜刺激症状などが現れることがあります。
絞扼性イレウスの参考画像。
※説明及び画像ははおなかの健康ドットコム(https://www.onaka-kenko.com/various-illnesses/digestive-organs/digestive-organs_03.html)より引用。
管理人の症状は腸が捻じれて癒着し、消化が上手くいかなくなり腹痛と嘔吐が続くものでした。
入院までの経過です。
2020/8/29(土)
夕食後(19:00頃)から腹痛を感じるようになる。
この時はまだ普通の腹痛と思っていました。
21:30頃眠りに付こうとするものの一向に腹痛が治まらず吐き気を催すようになる。
2020/8/30(日)
6:00頃腹痛と吐き気が頂点に達し、たまらず親に救急外来(TS病院)に連れて行ってもらう。
10:00?頃 TS病院で腸閉塞の説明を受ける。
12:00?頃 TS病院では手術不可の為I病院に転送。
13:00?頃 I病院到着・検査後即手術(3時間程度)
2020/8/31(月)~9/8(火)
この間絶食。(一度だけ夕食の重湯が出たが手を付けられず)。
2020/9/9(水)
強烈な吐き気を催したため鼻の穴からチューブを通し、胆汁・空気を抜いてもらいました。
入院中の様子。
胆汁を抜いている様子。
この間は慣れない鼻チューブに加え38℃位の熱も出ていたのでかなり苦しかったです。
それでも調子のよい時はスマホからブログを更新したり、インターネットを閲覧したりしていました。
2020/9/9(水)体重57.0㎏
胆汁抜きチューブが外れ、この日の昼から食事がスタートしました。
昼食(重湯、具無し味噌汁)
この日から体調、体重、食事内容をノートに付けるようになりました。
入院前の体重は61㎏だったので、入院10日余りで4㎏も痩せてしまいました。
※この後順調?に体重が減り続けます。
2020/9/10(木)体重55.8㎏
この日は朝食までスープ食で、昼から三分粥になりました。
昼食(三分粥、ふわふわスクランブルエッグ、具無し吸い物、ゼリー、ジュース)
昼食までは体調も良かったのですが、夕食を食べた後またもや強烈な吐き気を催し、再び胆汁抜きチューブを入れる羽目になりました。
当然翌日より絶飲食です。
2020/9/11(金)体重53.5㎏
この日より再び絶飲食。
原因を探るため、造影剤を入れての透視造影検査を行いました。
2020/9/12(土)~9/13(日)体重53.7㎏・53.4㎏
造影剤の影響で水っぽい便が続きました。
ここまでが第1の苦難といったところでしょうか。
しかし約40日間の闘病生活、勿論このままでは終わりません。
翌日より第2の苦難が始まります。
中編に続きます。